けったいな代物

雑文を公開してみる、のが趣旨です。勉強したことのアウトプットができたらいいけど多分駄文だらけになるでしょう。

イチローは、特別だ。

イチローは、特別だ。



小学校から高校まで野球をやっていました。今でも大学のサークルで時折プレイする事があります。

 

正直全然うまくない。それなのに変に意地っ張りで、色々しんどい思いもしました。

 

小学校のチームはは弱小。年間3回しか勝ったことがありません。それも2回は同じチーム。もちろん公式戦では0勝。

 

それでもそのチームの中で、それなりに打てて、それなりに守れて。4番を打ったり、エースだって言わたりもしました。打率も4割を超え、チームでも2番目でした。

 

平日は授業が終わるとすぐにランドセルを置いて、野球道具がひとしきり入ったバッグを手にとって自転車に飛び乗りました。小さな公園で、日が暮れるまでテニスボールと金属バットで野球をしました。普段使っていたボールは軟式ボールで、柔らかそうな名前ではあったのですが、それでも体に当たると痛い。窓を割ってしまうかもしれない。それでテニスボールのほうがマシだなって話になったんですね。

 

でもまあ、公園の奥にある家の窓(それも2階!)にホームランボールを当ててしまったり、運転手が窓を開けて寝ているタクシーの中にボールが吸い込まれていったり、鋭い打球が走行中の車を直撃したり、色々ありました。

 

やっぱりそれに対して怒ってくる人もいて、僕らは反省しているふりをしたり、人影が見えて途端に一目散に走って逃げたりもしました。

 

まあそれでも小学校を卒業するまで、その日々はほとんど毎日続きました。やっぱりそれだけ楽しかった。ヒットを打ったら気持ちがいいし、空振りを(フォークで!)取れたらほんとに嬉しかった。

 

家に帰ったらすぐテレビを付けて巨人戦を見ました。阿部、由伸、上原そして、小笠原にラミレス。かじりつくようにテレビを見ていました。その当時は今と違って巨人戦を毎日放送していたのです。

 

大抵の場合試合終了は9時を過ぎ、最後まで試合を見れることは少なかったです。だからニュースのスポーツコーナーを欠かさず見ていました。

 

それも野球が楽しくて、面白くて仕方なかったから。テレビゲームはもちろんパワプロ。選手の能力値と成績を全員覚えていました。高橋由伸のミートはB、パワーはA。上原はコントロールスタミナともにA、フォークの変化量は5。まあ結構忘れましたが、いまだに覚えている数値はたくさんあります(多分2003年のパワプロ)。あと選手名鑑も熟読していました。これも大抵の選手の年俸を暗記してましたね。

 

まあそんなこんなで、小学校を卒業しました。それで中学に入るわけなんですけど、ここで一つの決断を迫られました。野球を続けるのは決めていたんですけど、中学の部活に入るか、それとも硬式のクラブチームに行くか。僕の中学は、市の弱小チームが3校集まっていました。まあ、どう転んでも弱い。小学校のように負けるのが当たり前っていうのは嫌だ。それに小学生の俺は結構上手かったじゃないか。内角低めを打つ技術をコーチによく褒められたし。

 

でも、やっぱり怖いわけです。知らない人たちと野球をするっていうのが。井の中の蛙ではあったんですけど、外の景色もちょっと見えたんですね。小さな小窓から映る景色はおどろおどろしいように見えました。でも全貌はわからない。もしかしたら目に見える部分以外はのどかな田園風景が広がっているかもしれないし、一面火の海、鬼人が跋扈しているかもしれない。

 

それでも僕はクラブチームの方を選びました。悩んだ、とはいえそこまで苦しんだ覚えはありません。自分に無垢な自信があったのか、挑戦することがカッコのよろしいことだと植え付けられていたのか。

 

しかしまあそれからの毎日は辛かった。本当に辛かった。中学生になり、極度の人見知りを発症した僕に、友達はできませんでした。人の名前を呼ぶのが怖い。チームメイトなのに。でも一人で飯を食うのは嫌だからどこかの集団にまじろうとする。みんな固定のコミュニティがあるのに僕だけ流浪の民です。車移動のときも僕だけ一人車が決まらず、一人分席空いてないですかと尋ねてまわる。

 

親が来る日は地獄です。親の前で友達のいない姿など見せられない。一人ぼっちで飯を食っている姿など見せられない。楽しく友人と笑いあっている姿を見せたい。正直野球でミスをするのはかまわない。だから親には来ないでと言っていました。それでもやっぱり来る時は来る。まあ親が当番の日もありますし、公式戦の日はやはり息子の姿を見たいのでしょう。晴れ姿を。でも僕の周りは土砂降りでした。

 

それでも野球が上手ければ、誰か話しかけてくれる人もいたかもしれない。でも僕は限りなく下手でした。一日で2本バットを折ったり、ゴロを全部弾いてしまったり。チームで一番肩が弱く、僕だけ基準値までボールが届きません。そしてそのこと、下手なことを笑い飛ばせる強さはない。

 

僕みたいな下手くそは、まあ他に何人かいました。それでも彼らには友達がいた。馬鹿にされても笑い飛ばしていた。僕は馬鹿にされたらムキになります。実力もないくせに。

 

それは負の連鎖です。下手糞で人見知りのくせに怒りっぽいやつに友達などできるはずもない。なんならいじめられます。いじめられていたと思います。認めたくないですけど。

 

野球なんて楽しくない。

 

しかし、そんなつらい日々も終わります。中学を卒業し、地元の進学校に進みます。それ以降彼らと会ってもいませんし、これから会うつもりなどありません。でもまあ憎んでいるわけでもないです。ただ、彼らと会ったところで、僕は再び挙動不審になってしまう。これから僕がどれだけ成功を収めようと、たとえスーパースターになったとしても、彼らの名前を呼ぶことはできない。

 

それでも、野球以外にやってこなかった自分に他の道などありませんでした。他の道が隠れていた、という方が正確かもしれません。それで僕は高校も野球部に入りました。中学でのことは、忘れました。忘れようとしました。無理に明るく振舞い、無理に人間とふれあいました。しかしまあ、人間の適応力とはすごいもので、次第に無理をしないでも友達と接することができるようになりました。

 

部室で馬鹿話をした日々。帰り道には友達と福山雅治のうんこについて論じ合いました。イケメンはうんこに問題を抱えているはず。そうでなければこの世は不条理だ。福山雅治のうんこは霧状に放射されるに違いない。など。汚い話ですみません。

 

しかしまあ、野球はやっぱり上手くないわけです。たしかに中学の頃に比べると、周りのレベルは落ちました。相対的に僕のレベルも上がりました。でも、やっぱりスタメンにはなれないんです。中学の頃はベンチすら入れなかったですから、それに比べると大いなる進歩です。でも、スタメンで試合に出ること、そしてチャンスでヒットを打つこと、これが野球の楽しさです。

 

小学校の頃の楽しさを思い出したかった。そのために必死になったつもりです。でも、実はそこまでの熱意などなかったのかもしれません。

 

うまくいかない自分、頑張ってもうまくいかない自分を悲劇のヒーローに見立てて、それを防波堤に日々を過ごしていたのだと思います。だからいざ最高学年になって、それでも最後の夏の大会に出れそうもない、となった時何か諦めというか、こんな劇的でない形で終わるんだなと思いました。

 

とはいえ出たいけど出れない、一つのミスが自分の首元にかかっている、と言った状況で僕は野球を楽しむことなどできませんでした。野球は恐怖の対象であり、遠ざけておきたいものでした。

 

そして今、僕は野球漬けの生活(もっと本格的にやっていた人には失礼な表現かもしれないですが)から解放されました。プレーすることはなくても、野球は娯楽になりました。




これまでの人生において、イチローのファンだと言ったことはありません。そう思ったこともありませんでした。

 

イチローがヒットを打つのは当たり前でした。ニュースを見る必要もありませんでした。

 

しかし、小学生の頃、野球が純粋に楽しくて仕方なかった頃、僕は周りの野球少年と同じように腕を地面に水平に保ち、バットを立てて袖を軽くまくってピッチャーを睨みつけました。それは野球に触れたことのある人ならみんな通る道です。

 

誰のお陰で野球をやることになったのか、そんなのはわかりません。でも、僕にとって、野球が楽しくて楽しくて仕方なかった頃のスーパースターはイチローです。紛れもなくヒーローです。好き、と言うには雲の上の存在だけれど、神様にしてはすこし身近すぎる存在でした。

 

しかし純粋に野球を楽しめるようになった今、イチローは引退します。僕はイチローの顔を見て、野球の楽しさを思い出しました。そして過ぎ去った時間を思いました。

 

ああ白髪が増えたなあとか、肩も弱くなったなあとか思うわけです。やっぱりイチローも人間なんだなあだとか、月並みなことを思うわけです。でもその姿を見ると、やっぱり全盛期のイチローの姿が頭に浮かんできます。そして僕も楽しく野球をしていたことを思い出します。

 

イチローは僕の中で、一つの時間軸になっています。鏡を見ても時間がどれだけ経ったのかはわかりません。だからその代わりに、イチローの姿を見ます。

 

やっぱりイチローは特別です。僕の人生に食い込みすぎです。

 

色んな人の、色んな人生にイチローは食い込んでいるのでしょう。誰にとってもイチローは個人的なんでしょう。僕がこんなに感傷的に過去のことを思い出したように、日本中、いや世界中の人がイチローに心揺さぶられているのでしょう。それがイチローイチローたる所以なのではないかと思います。



イチローは、特別じゃないんだなあ、と。