米原万里 オリガ・モリソヴナの反語法
米原万里さんの『オリガ・モリソヴナの反語法』を読んだ。実はこの本、買ってから少し寝かしていた。いわゆる積ん読。というのもこの小説、文庫本でおよそ500ページあり、最近読書体力の減衰が著しい僕は、少し躊躇っていたのだ。
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しかし杞憂だった。ページをめくる手がもうとまらない!!と帯に書いてあったがまさにその通りだった。会話の妙、ミステリー仕立てのスリリングな構成、モスクワ市内の生き生きとした描写。これこそ小説なんだ。少し唸ってしまうばかりの完成度である。ここには往々にして日本文学が追い求めようとする、鬱屈した自己の発露などない。しかしこれは紛れもなく文学である。読者は目を輝かせながら物語の筋を追い、それでいて文章の魅力に思わずため息をついてしまう。
これは大人になった主人公が、小さい頃出会った舞踊教師、オリガ・モリソヴナの半生を辿るミステリーじかけの冒険譚である。主人公の少女時代に痛烈な記憶を残した教師。しかし記憶の中には多く謎が含まれていた。現在、少女時代、そして教師の前半生と、時空間を行き交いながら、教師の振る舞いに隠された秘密を解き明かしていく。
この小説の魅力は、時間の経過をありありと感じられるその構成の妙である。長い間会っていなかった友人の体型が変化している。しかし昔と変わらぬ瞳。苦労話を笑い話に変えられるだけの時間が経ってしまったことに思わず苦笑してしまう。少女時代と現在との間の空白を、読者は主人公の思い出や些細な会話から想像することができる。描かれている時間は僅かであっても、効果的に挿入されるエピソードによって空白が埋められていく。そして描かれていない主人公の葛藤、苦労を想像し、彼女の人生が複合的なリアリティのあるものになっていく。また、先程も言ったように、この小説は伝説の舞踊教師の過去を探るミステリーでもある。その舞踊教師の過去は、彼女にとって空白である。つまり、この本を読みながら読者は主人公の空白を埋めようとし、その物語の中で主人公は教師の空白を埋めようとするのだ。これほどまでに重層的でスリリングな小説をいまだかつて読んだことがないと言っても過言ではない。重厚な高級車。読者はまるでエンジンがつけられたかのように先へ先へと物語を進めてしまう。しかしそれでいて高品質の制動装置が取り付けられているのがなんとも憎らしい。名エッセイストでもある著者の独特な、それでいてユーモラスな着眼点。登場人物一人一人の魅力的なセリフ。先が気になって仕方ないのに、アクセルを踏んだらすぐに止まらないといけない。止まらざるをえない。もうゆっくり走る他ないかなとも思えてくる。だだっ広い道路の脇には満開の桜が咲いていて、ドライバーはそれに見とれて思わずブレーキを踏んでしまうのだ。
オリガ・モリソヴナの罵倒はすべてがユーモラスで独特の響きを持つ。思わずにんまりしてしまうものもあれば、意味がわからず首をひねってしまうものもある。少し紹介する。意味がわからなければ、ぜひこの本を手にとって見てほしい。
「あらまあ震えが止まらなくなるような神童!」
「これぞ想像を絶する美の極み!」
「これはこれは教授!」
「七面鳥もね、考えはあったらしいんだ。でもね、結局スープの出汁になっちまったんだよ」
これらの罵倒がどうして彼女の口から出るようになったのか。この罵倒語(特に最後のやつ)はどういう意味なのか。もしわからない、気になると少しでも思ったらぜひこの本を手にとって読んでもらいたい。いや、この小説は必読だろう。日本人として、この小説を原文で容易に読める、その事実だけで日本人であってよかったと感じるほどだ。